『ファンダム:メディア化された世界のアイデンティティとコミュニティ』の感想とか

Fan Studies(以下FS)という領域

ここ数ヶ月くらい、週末を使ってFSやその始まりの人たるヘンリー・ジェンキンスのこととかを掘ったりしています。

もともと、なにかに熱中して取り組んだり、なにかの愛好を熱烈に好きだったりする人に関心があって、ファンのファンを名乗ったりしていたこともありました。

とりあえず、その人たちのことを対象にしてなんか卒論を書こうとか思って調べていると、Fan Studiesという領域があることを知り、「よし、この領域で認められる論文を書こう」と思っていたものの、そもそもこの領域の成り立ちとか問題設定とか気になって3年くらいが経ちました。 (結果、最初の本望はまだ達していないし、どういうかたちでFSでの新規性を出せば論文になるのかわかっていない。)

ここ数年でやたら教科書が出てるし、英語が読むの遅いし、日本語の「ファン研究」と言われてる本が論じてるものと距離がある気がするし、とか思っているうちに全体像もつかめないままの3年間でした。

FSについてとりあえず動向や領域としての関心を知るうえで、日本語で読めて役になったのは、次の2つでした

バージニア・ナイチンゲール&カレン・ロス「ファンとしてのオーディエンス」『メディア・オーディエンスとは何か』所収池田太臣「共同体,個人そしてプロデュセイジ──英語圏におけるファン研究の動向について──」

特に池田論文はめちゃくちゃ参考になったのですが、参照されている文献にもあたってみたいと思い、同論文のベースになっているレビュー論文が収録された『ファンダム:メディア化された差世界のアイデンティティとコミュニティ』とかを読んだりした。

『ファンダム:メディア化された世界のアイデンティティとコミュニティ』の第一版

最近第二版が出て、こっちはこっちで最近の情勢を踏まえた壮大な構想とか、ジェンキンス先生との距離感とかがうかがえて面白いのですが、とりあえず今回は第一版の中で興味を惹かれた点と感想を書きます。

本書の特徴

①論文が非常に短い、テーマについての試験的な考察や不十分な論証、概要紹介になっているものがおおい 本書は六つのテーマに分かれていて、全部でイントロを含めると27の章から成っています。ひとつの論文は10ページ教と短いです。そのため冒頭で対象を紹介する際にも、なぜその対象を選ぶのかの意義が説明されていなかったり、どのような調査を行ったのかについての書き込みが少なかったりします。問題意識とそれへの答はわかるけど、その問題意識の共有とかアプローチの開示にそれほど熱を入れていない感じ。

ただ現在のFS(といっても10年以上前ですが)にとっての重要なトピックを一望できる点では優れていると思います。

②「第三の波」

二つ目に気になったのは、全体として冒頭のレビュー論文が非常に本全体のコンセプトを明示しているな、ということです。

冒頭のFSについてのレビューは、領域の歴史を「三つの波」という観点から整理した、いわばレビュー論文となっていますが、同時にこの本が「第三の波」という潮流に立つことをはっきりと示しています。

いいかえると、編著の立場を示すことを目的にされた整理なので、そのへんの意図を考慮せずにFSのマッピングをしたものとして鵜呑みにするのはちょっと危険そうです。

ちなみに第三の(つまり現在の)FSの潮流として見なされていることはいくつかありますが、ひとつ読みとれるのが、fan的(fannish)な消費や社会現象との関係の持ち方――感情的・情動的な対象への関与とか――が非常に一般化したので、別に対象を従来のFSが考えていた創造的・対抗的・集団的なfanの実践に絞る必要はないよね、という見方です。 (これはちょっとうろ覚えなのですが、『ファンダムの理論化』の各論文の背景に透けて見えたのが『テクスト密猟者』と『ディスタンクシオン』だったと思います。それに対して本書(特に前半)の論文の背景に透けて見えるのは、アバークロンビー&ロングハーストの『オーディエンス』に書かれた消費者像のように見えます。これについては、別の機会に『オーディエンス』を読み直したときに触れられればいいなと思っています)

③問が分かりにくい

論集の中の論文を、問・対象・方法・結論という形で表にまとめようとして気づいたことですが、論文が解決しようとする問が書かれていないものが多いです。論文ひとつひとつで主張は結構早くから明示されているのですが、なぜそのような主張をするに至ったのか、論文の抱える問題意識や、そこから導かれる問題設定を明示していないものが多くあり、これはまとめ方をちょっと間違えたかなと思いました。

向こうのFSの潮流に明るくないので、そもそもなぜこんな主張をする必要性があるのだろう?という疑問の方が先に来ます。

雑感

論集として見ると、各論文に不満な個所は多くあります。

ただ、冒頭のイントロダクションは、内外の研究でも非常に多く参照されているのを見ますので、てっとり早くFSの潮流を知りたい人にとっては有用だと思います。あとジェンキンスのAfterward(26章)も、ジェンキンスの今いる位置や、1992年時点からの(彼自身および世相の)変化に対する意見、彼がFSに対して持っているアンビバレントな態度、そして本書全体の中での浮きぶりがわかって面白いと思います。

日本人研究者としてFSの領域に顔を突っ込みたい自分としては、各地域でfandomという言葉や背負う文脈の違いに戸惑う研究者の声が聴ける、ハリントン&ビールビーの世界各地のファン研究者についての調査(これは本書以外にもいくつか別のところ発表されていますが)も、面白いと思います。

あと将棋ファンに関する歴史研究、というテーマに引きつけての感想なんですが、カヴィッチの19世紀の音楽愛好者に関するエッセイは、テレビや映画の「オーディエンス(視聴者)」としてのfan像と、そういったテクノロジーがない時代の「オーディエンス(観客)」の連続性に注目すべきと言っていて、参考になりそうでした。別のアンソロジーの章で、歴史的なファンの探究というときカヴィッチが頻繁に参照されていて、「あれ? スプリングスティーンのファンダム研究していた人じゃなかったっけ」とかボケたことを思っていたのですが、確かにこういうエッセイも書いていました。