ジェンキンスはいつから、なぜfanという概念を重視し始めたのか?

「ファン」とはだれだろう?

体力がへなちょこすぎて、仕事から帰ってきて英語を読もうとすると眠さでウトウトしてまったく調べものが進んでいません。

「何かわかった」的な文章を書きたいのですが、ネタがないので引っかかってる疑問を投げっぱなしで投稿します。

ファンスタディーズについて少しでも見通しをつけようとしてレビュー論文を読むと、だいたい3つの著作(論文)が最初期の研究として挙げられることが多いです。

ひとつはカミラ・ベーコン=スミスの『Enterprising Women(訳が分からない)』、次にコンスタンス・ペンリーの「フェミニズム精神分析、ポピュラー文化研究」、そしてヘンリー・ジェンキンスの『テクスト密猟者』です(たとえばBusse & Gray 2014)

中でも、だいたいファンスタディーズのレビュー論文とか、後続の研究者の仮想敵とかだと、圧倒的にジェンキンスの著作が頻繁に引用されている感じがします。

実はこの3つ、どれも特定のジャンルのファンを対象としていて、別にジェンキンスが網羅的にいろんな種類の「ファン」にインタビューしたとかいうと、そういうわけでは全然ないです。 では、なんでジェンキンスばかり引かれるんだろ、と読んでみると、頭から「ファンのスキャンダラスな表象」とか「ファンというカテゴリ」とか、そのものずばり「ファン」という概念を問題視して、それを転覆させてやろうという意図がみなぎっていること限りないからだと思われます。

だから彼がエスノグラフィの対象としたのは、ごくごく特定のファンなのだけども、「ファンはこんなにスキャンダラスに見られている」というために、セレブのファンや映画ファンやコミックファンやスポーツファンや音楽ファンに、ちょこちょこと言及していくし、下のようなことも言う。

Much of what I say about this group applies to other fan cultures aw well, some of what I say applies to popular reading more generally, yet my claims are more modest, focusing on this one subculture and its tradition.(Jenkins 1992: 2)

 上の三つの著作はいずれも同じ対象を扱っていると述べましたが、これらはどれもスタートレックシリーズのファンや、そこから派生した「メディア・ファン」を対象として取り上げています。このメディアファンという対象やその実践(e.g.スラッシュフィクションの創作)自体は、3人以前からさまざまな研究者が取り上げていますが、メディアファンを取り上げつつ同時に「ファン」というカテゴリ自体を問題化したのは、ジェンキンスがはじめてなんだろうだと思います(たぶん)。

初読の時「なぜ「ファン」というカテゴリに、ここまでこだわったんだろう」というのが、率直な感想でした。 日本語の語感との乖離というのもそうなんですが、たとえば「スポーツファン」と「メディアファン」という存在を、ファンという言葉でひとくくりにするというのはだいぶ乱暴な気がしたからです。

上の2つのファンは全然別物であることは、ジェンキンスも本の中で認めています。 それでもあえて、「ファン」という言葉でもってなにかを名指して、それを擁護するような姿勢を見せていたのはなぜなんでしょう。

積年の謎です。将来の自分が答を出していることを望みます。

ヒントになりそうなこと

ひとつは、『テクスト密猟者』出版と同年、同じように「ファン」というカテゴリを問題化した『熱狂的オーディエンス:ファン文化とポピュラーメディア』という論集が出たりしていることです。 ジェンキンス以外にもこのカテゴリにこだわった人々がいたということは、ファンという言葉自体が、この時期に何かしらの重みをもって認知されていたんでしょうか。

この方向で考えを進めると、当時この概念がどういう状況にあったのかを見ていく必要がありそうです。

もうひとつは、ツイッターでフォローしている方のつぶやきから、ちょっと思ったこと。

「ファンスタディーズの大部分はオーディエンススタディーズの一部から生まれたもの」(Busse & Gray 2014; 427)という話もあわせると、オーディエンススタディーズの界隈の人たちが、次の「新しい学問領域」を名指すときに掲げる看板になったのかなという思わなくもないです。 (●● Studiesという言い方、いつ頃から広く使われるようになったんでしょうか)

上のヒントが社会の状況から謎を解くヒントになるとすれば、こっちは学問をする側の事情。

ここまでくると、そもそも「ファンスタディーズ」という形で、ジェンキンスやらペンリーやらをカノンのような形で並べ立てて、ひとつの「領域」として見なしたのは誰なのかとか、80年代~90年代初頭のオーディエンススタディーズの置かれていた情況とかに目を配る必要はありそうです。

ただ、ジェンキンスの「ファン」というカテゴリの問題化自体は、『テクスト密猟者』の元となる88年の論文のときから見られるので、出版に当って盛大にぶち上げたということでもないようで。

結局、88年論文の後で映画史とも大衆演劇史ともいえそうなバリバリの社会史の本を書いたりしているし。

彼の中で社会史の著作と、現代のスタートレック・ファンのエスノグラフィがどのような関係があるのか、いまいち見通しづらいです。

参考文献 ・Henry Jenkins, 1992, Textual Poachers (Routledge) ・Kristina Busse & Jonahan Gray, 2014, "Fan Cultures and Fan Communities" in The Handbook of Media Audiences (Wiley Blackwell)